PiDEA X編集部(以下略編):注目のインフルエンサーインタビュー連載の3回目は、「新台」の魅力を「最速」で伝え続けている男「日直島田」さんにお越しいただきました。本日はよろしくお願いいたします!
日直島田さん(以下略日):こちらこそ、よろしくお願いします!
編:50万人を超えるチャンネル登録者を持つ「日直島田の優等生台TV」がはじまってから7年くらいが経過しているかと思いますが、今日は「日直島田」がなぜ生まれたのか。その辺りからお聞きしたいと思います。ご出身は関西ですよね?
日:そうですね。大阪駅を数駅行ったところが実家。コテコテの大阪人です。大学を卒業して、24〜25歳くらいまでは実家に住んでました。
編:パチンコやパチスロの出会いを教えてもらえますか?
日:大学生の時だったかと思うんですけど、当時競馬が流行っていたんですよ。友達と行くことになり、出がけにオカンと2人の弟に「1〜18で一番好きな数字をひとつずつ言って」と頼み、その聞いた数字3つで3連単の馬券を買ったら66万円になったんですよ。
編:すごい! 高額配当ですね。
日:ですよね。当時はアルバイトとかしている学生ですから、1000円、2000円で生活していた時にそんな大金を手にすることがなかったので、友達と二人で「どうしよう?」ってなって「やったことないけどパチンコやってみようか?」とホールに行ったのが最初ですね。
編:やったことのない人同士でおっかなびっくり足を踏み入れたんですね。
日:そうですね。それからは頻繁に行くようになったんですけど、雑誌読んで、自分で(どうやって遊ぶのか)開拓していきました。5号機とか最初のころだったと思います。最初はリーチ目とかも全然分からないし、ボーナス確定と画面に出るまでそろえられなかったくらいですね。
編:なるほど。では大学時代はパチスロをやっていて、卒業後に業界に入ったという感じなんでしょうか。
日:パチスロはよくやってましたけど、仕事にするというつもりはまったくなかったですね。学生時代はイベント運営の仕事をやっていて、最初はアルバイトだったんですけど、仕事ぶりを認められて運営のトップとかやらせてもらっていました。
編:学生時代で運営する側に回っていたのはすごいですね。どんなイベントに携わってきたのですか?
日:マドンナさんのライブとか、シルク・ド・ソレイユの運営とか、東方神起さんを迎えに行ってライブ会場までアテンドしたこともありました。
編:いや、すごいですね! そんな大きなイベントの運営を学生時代に任せられるなんて。
日:なので、そういう仕事が面白くて大学卒業したらアメリカの「レッドカーペット」とか大きなイベントの運営に携わりたいと思ったんですよ。将来は海外でイベンターになりたいと思い、大学は1年留年して語学留学しようと思ったんですね。
編:それだけ、大きなお仕事に携わってきたのでしたら、そう思われるのは自然ですね。それでアメリカに留学されたんですか?
日:それが、当時手配を頼んでいた留学会社にダマされてしまって、留学のための費用を取られちゃったんです。
編:え? どれくらいの費用をダマし取られてしまったのでしょうか。
日:たしか、400〜500万円だったと思います。集団訴訟もしたんですけど、結局返ってこなかったですね。パチスロやアルバイトで必死になって貯めたんですけどね。まぁ、それでショックを受けて1週間くらい寝込みましたね。
編:いや、本当にひどい話です。
日:めちゃくちゃショックを受けたんですけど、僕よりも母親が落ち込んでしまって。それを見ていたら自分がいつまでも落ち込んでちゃダメだなと思って気持ちを切り替えました。ただ、大学5年目も終わろうとしてますし、卒業もしなくちゃいけない。父親を早くに亡くしたこともあって、とにかくお金を稼がなくてはいけないと思っていたので、何も考えず給料が良いところを探して、着物屋に就職しました。
編:意外な選択ですね。
日:まぁ、そこがひどいところで、原価2万円の帯を100万円で売るような世界。あまりにもそのやり方がえげつなくて速攻で辞めちゃいました。それで、どうしようと考えていた時にイベント運営で関わっていた会社の人から『仕事探しているなら手伝わない?』と声をかけてもらいました。
編:それでイベント設営などの仕事に戻られたんですか?
日:いえ、実は当時パチンコ業界が「ライターバブル」だったんですよ。広告宣伝のルールが厳しくなって、いろいろな雑誌に所属されているライターさんに来店してもらうのが流行っていて、それでライターさんをアテンドするディレクション業務を手伝うことになったんです。
編:なるほど。それが業界と関わるようになったきっかけなんですね。
日:ですね。ポロリさんとか水瀬美香さんとかいろいろなライターさんたちとホールに行くようになりました。おかげさまでライターさんたちにもよくしてもらって「アテンドは島田が良い」とか指名をもらうことも増えて順調だったんですけど、アルバイトだったし、やっぱりイベントの仕事がしたいと思って上京することにしたんです。24歳か25歳くらいの時だったと思います。
編:上京してライターさんのアテンドなどは辞められたんですか?
日:それが、大阪時代にお世話になっていた人がちょうど東京の支社長になるということで、結局上京してからもしばらくは同じようなアテンドなどディレクション業務をしてました。そのくらいの時期にパチンコのYouTubeがめちゃくちゃ流行り出したんです。ヤルヲさんとか寺井一択さん、いそまるさんたちの動画が出始めて「あ、YouTube流行るな」と思いました。それで、当時の社長に「撮影機材とか編集ソフトは自分がそろえるから動画を作らせてくれ」と頼んだんです。
編:「用意してくれ!」じゃなくて、自分でご用意するんですね!?
日:ライターさんの来店は請け負っているけど、動画とかやったことがない会社だったんで、自分から動く必要があったんですよ。それで、自分でホールさんに交渉して、ライターさんにもお願いして動画を作っていくようになったんです。
編:それはあくまでも作り手としてであって演者ではないのですよね?
日:そうですね。当時はほとんどなかったホールさんの専用チャンネルを立ち上げて、再生数もかなり稼げて「いけるな」と思いましたね。
編:まだ「日直島田誕生」とはならないんですね。
日:それでいうと「自分が演者になりたい!」と思って始めたことはなくて、あくまでも作り手としてカメラマンや編集の仕事をしていくことをイメージしていたんですけど、編集作業の練習ができなくて困っていたんです。ライターさんの動画を練習台にするわけにもいかず、どうしようと思っているうちに「あ、自分でやればええやん!」となって、知り合いのホールに頼んで自分が演者もやっている動画を撮らせてもらうようになったんです。練習のつもりで始めただけなんですけど、練習とはいえせっかく撮影もした動画なんで、自分のYouTubeチャンネルでアップするようにしたら6万再生くらいいって、予想以上に見られるなぁと。
編:チャンネルを拝見したんですけど、デビュー作みたいなのはなかったようなので古いのは消されてるんですか?
日:いやいや、「ガルパン」打っている動画が一発目ですよ。
編:え? 本当ですか。「はい。どうも日直島田です。今日はですね〜」みたいに長く続いている動画のように喋られていたので最初じゃないと思いました。
日:もともと、練習のために始めたといったじゃないですか(笑)。あくまでもライターさんの動画を編集するための練習ですから、見よう見まねで演じたんです。レギュラー番組みたいな感じでやった方がそれっぽいじゃないですか。
編:なるほど。そういうことでしたか(笑)
日:練習であげていた動画ですけど、そこそこ数字も取れてきて、買ってくれるホールさんとかあれば良いなと思っていた時にスロパチステーションさんからスカウトが来たんですよ。「一緒にやりませんか?」って。まだ、当時はいそまるさんしかいなかったころだったと思うんですけど。
編:そんなお話が来たんですね。
日:で、いろいろ話も聞かせてもらって刺激も受けて悩んだんですよ。それで自分の親友に相談したら「島ちゃんは人の言うこと聞かれへんのやから一人でやりー」と言われて、スカウトの話は断ったんですけど、それからはYouTube本気でやろうと気持ちが入りましたね。
編:ついに日直島田が本格的に始動するのですね。なぜ「新台」を遊技するという内容にしていこうと思ったのですか?
日:それは非常にシンプルです。「自分のことを知っている人はいない(少ない)だろう」と思ったからです。これまで裏方として仕事をしていた人間が急に表に出てきてもそれだけでは動画を見ようと思いませんよね。だから「新台」というフックが必要だと思ったんです。他のチャンネルも研究しましたし、自分の動画を見て、10人中8人は島田のことを好きじゃないと思っても2人が好きと思ってくれれば、動画を投稿し続ければ見てくれる人が増えていくと思ったんですね。
編:それだけ順調だったチャンネルですが、突然辞める宣言をされました。当時の心境をお聞かせください。
日:はじめた当初は動画編集の練習のため。収入の足しになるかなと思ってやっていたのですが、おかげさまで非常に多くの人たちに観てもらえるようになり、広告収入も増えて、来店依頼も断らざるを得ないような状況になっていました。2〜3カ月先までスケジュールがビッシリみたいな感じになっていた時に新幹線に乗っていたのですけど「俺、いつまでこの仕事やるんだろう」と思っちゃったんですよ。それでもう辞めようと思い立って、ゆうちゃろさんに「俺、もう辞めるから最後にコラボしてくれ」って電話してましたね。
編:辞められた後に世界一周されていたので、それが原因というか目的かと思っていたのですが違うのですね。
日:そうですね。世界一周は辞める原因ではなかったです。当時付き合っていた彼女がいて、「俺、一度仕事辞めるけど、また新たな仕事やるからとりあえず一緒に旅行行かへん?」みたいなノリで一緒に旅行始めたんですけど、インドで喧嘩して別れちゃったんですよ。結婚しようと思っていたんですけどね。それで、仕事もやめて彼女とも別れたことで目標みたいなものがなくなっちゃったんです。本当は結婚して子供作って家庭を築きたいと思ってたんですけど……。
編:それでその後は?
日:せっかく世界を見て回るのだから、学生時代できなくなった語学留学を改めてしようと考えて、カナダやオーストラリアに行きました。そこで、聞かれるんですよ。「日本で何やっていたんだ?」って。それで「パチンコのYouTuberだ」って言うとみんな驚くんですよ。「オー、パチンコか?」みたいな感じですね。みんなパチンコのこと興味を持っていて知っているんですよ。それで、いま業界は遊技人口が減少していると問題になっていますよね。自分が英語を学んでパチンコやパチスロの動画を配信していくようになれば、インバウンドじゃないですけど、外国人観光客が増えて、遊技人口が復活するんじゃないかと思ったんです。それで、非常に恥ずかしいんですけど、あれだけ格好つけて辞めたのに戻ってきました(笑)。今は通常の動画配信に加えて国外向け動画も作ろうと準備しています。
編:すばらしい目標です。最後に業界やファンにメッセージをお願いします。
日:演者さんもホールの方もメディアの方もいろいろなしがらみがあって、思うことが言えないような業界になってしまっていると思います。でもやっぱり「悪いことは悪い」と言えるようにならないとファンのためにも良くないと思っています。自分は炎上キャラみたいに言われることありますけど、良くないことは良くないと発信していくべきだと思っているので「スペック詐称」も「抱き合わせ」も良くないと言い続けたいです。あと、今のユーザーさんってあんまりお金ないって分かってほしいです。3万も4万も使えないんですよ。だから、甘デジとか低貸しでも遊べるようなお店があってほしいです。どこも同じような営業スタイルになっていると思うのでバリエーションが増えてほしいと思います。
編:なるほど。業界に対する真摯な気持ちが伝わりました。本日はありがとうございました!
日:こちらこそありがとうございました!
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