ピデアな男 松澤康一(ビクトリア余市店 店長)

2021.03.11 / 連載

札幌から西へ車を1時間ほど走らせると余市町にたどり着く。人口2万人弱。2045年には1万人を切ると想定されている厳しいエリアだ。

今回取材したのは、北海道で7店舗のパチンコ店を経営するビクトリア観光のビクトリア余市店で働く松澤康一店長だ。
入社当時は金髪でパーマをかけた、世間に啖呵を切るような青年だったが、20年の時を経て、感謝と責任を学び、今ではエリア長も兼任する立場となった。

余市で育った松澤店長は、パチンコというビジネスでどのように地元へ恩返しをするのか。

 余市の市場の可能性を自分が証明できるか。
それは営業結果でしか示すことはできません。

 

PiDEA編集部(以下略編) まずは経歴を教えてください。

松澤康一店長(以下略松) 18歳で新卒入社し、今年で20年目になります。

編 ビクトリア観光一本で20年なんですね。

松 若い時は頭を下げたりするのが得意じゃなかったので。本当は地元の余市で漁師になりたかったんですが……。

編 漁師志望だったのにパチンコ店。変わった進路ですね。

松 一度は船に乗ったんですが、先方の事情で漁師として働くのは1年待ってほしいということでバイトを探すことになったんですけど、面接が全然通らなかったんですよ。

編 事前に聞いた情報ですが、かつてはヤンキーだったとか。

松 いやまぁ、面接にスーツを着ていかなかったんですよね。当時流行っていたパーマをかけて金髪でピアスをつけて、めちゃくちゃ私服でした。なんなら履歴書の写真もダウンジャケット着たまま撮っていましたし。

編 失礼な話ですが、20年前とはいえ、ビクトリアさんもよく採用してくれましたね。

松 ビクトリアも1回落とされたんですよ。「今日もダメだったか」と思って、バスに乗って帰ろうとしたら携帯電話が鳴って、「やっぱり働いてみない?」と。

編 電話の相手は店長ですかね。

松 当時の店長だったのですが、絵に描いたようなパチ屋の店長という感じで、「こんなヤツがいた方が面白いし、体もデカいから防犯上安泰だ」とのことでした(笑)。

編 生きてる!って感じがしていいですね。嫌いじゃないです。

松 1年だけ働かせてくださいと言っていたのですが、ビクトリアってアルバイトがいない会社なので、仕方なく正社員になったんです。

編 そこから長年働いたことで、人間的にも成長できましたか。

松 1年経つくらいで、拾ってくれた店長が滝川店に転勤することになって、一緒に行くかと言われたんですけど、その時、その意味が分かっていなかったんですよね。「いやいいっす。(滝川は)遠いんで行かないっす」と。そんな日々でした。

編 ヤンチャな雰囲気がそのまま残っている回答ですね。

松 そうこうしているうちに、遅番の帰り道、たむろしてる小僧どもとまぁまぁなことになっちゃって、あえなく骨折してしまったんですよ。「これで俺はクビだ。辞めることを伝える手間が省けたし、船に戻ろう」と思っていました。

編 ところが、まだ残っている。

松 そしたら新しくきた店長さんが、「戻ってこいよ」と言ってくださる。貯金なんかなかったからお金も大変だったけど、傷病手当金みたいなものも会社からいただきました。「こんなにしてもらってまですぐに辞めるのは失礼だからもうちょっとやろうか」と思っていたら、役職になっちゃったんですよね。

編 嬉しいというかありがたいエピソードですね。

松 そうなんですけど、あの時は「辞めづれえよ」と思って嬉しくなかったんですよ(笑)。そんなことがあってから、ちゃんとビクトリア生活が始まった感じですね。

編 そこからはどんなビクトリア生活を送って店長になられたのでしょうか。

松 22歳で主任になり、なんでも最年少という言葉がついてくるので、それに感化されていました。でも、今思い返してみれば全然使えないヤツだったと思いますよ。

編 例えばどんな点を見てそう感じたのでしょうか。

松 初めて転勤した時に、絶望するくらい通用しなかったんです。それまでは、接客でも表彰されることもありましたし、うまいこと当時の上司にモチベーション管理されていました。でも、転勤先で自分は最年少で全員年上の部下。やりづらいったらなかったです。

編 話をお聞きする上では、上司の方には恵まれた印象ですね。

松 大先輩だけど、合わない人もいましたよ(笑)。細かい内容は省きますが、もう全然話が合わなくて、とにかく否定するんですよ。「そんなんならいいですわ。自分もうできないんでこの会社辞めます」と啖呵を切って、社長のところに乗り込んだこともありましたね。

編 そうしたら社長はなんと?

松 「飽きたんだろ」と鼻で笑われて、本社で一週間くらい働かせてもらっていたら、「な、 楽しいだろ?」ってすべて見透かされていましたね(笑)。いろいろと好きなことを18歳からやらせてもらい、社長には感謝しかありません。自分もそういう器を持って仕事にあたりたいです。その後、現場に戻るようになって、その頃から後輩や部下と出会うようになって変わっていきました。

編 どう変わったんですか。

松 明確に店長になりたいなと思うようになりました。

編 それは何かきっかけがあったんですか。

松 部下が辞めてしまった時ですね。家族からパチンコ店で働くことに理解をしてもらえなかった子がいて、説得に行ったのですが納得はしてもらえずに辞めてしまった。自分の力不足を感じました。自分に良くしてくれた人たちに恩返しをするためにも、まずは店長になろうと。2012年に初店長になり、伊達店、倶知安店などの数字が上がって、エリア長になるのと同時に、この店の店長になりました。

編 余市エリアの特徴ってどんなものでしょうか。有名な産業とかあるんですか。

松 余市といえば、ニッカウヰスキーの蒸留所がありますが、従業員もそこまで多くないですし、地域を支えるほどの産業ではないと思います。余市は元々は漁師町だったのですが、船の数は全盛期の5分の1くらいになってしまっています。

編 人口も2万人を切っていますね。

松 そうです。余市は市場ポテンシャル的に全国チェーンが競合して共存できるレベルではありません。遊技機の問題もなくはないけど、今以上に高単価営業をしていかないと、店を守るという観点では低貸しは難しいです。札幌市内なら人数の獲得ができるので、まだなんとかなるのですが、北海道全体で見ても、札幌と苫小牧くらいしか人口は維持できていないのではないでしょうか。パチンコの魅力で頑張らないと他のレジャーに圧倒的に負けてしまいます。

編 競合状況としてはどのような感じですか。

松 当店を含め、4キロ圏内に3店舗競合しています。その中で大半の地域シェアを獲得できているものの、簡単ではないですね。営業ノウハウもコロナ前と一変しています。昨対80%なんて今まで経験したことのないレベルです。

編 そもそも人が多くないエリアでのパチンコ営業って、何が一番難しいですか。

松 すごく分かりやすい話をすると、競合店とバチバチやってシェアを獲得していくというよりも、1人のお客さまのリピート率を上げて、長く付き合っていくことに重きを置く必要があります。どんなものでもそうですが、ベーシックなものよりも色ものが好まれる傾向が強くなっていると感じます。多少平均水準が高いくらいでは、店のやる気を伝えられません。

 


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