




“心の応援団” に支えられ北海道岩内町に第1号をオープン
「人生の教師、または反面教師としてパチンコ業界からいろんなことを学び、いい部分も悪い部分も見てきました。その悪い部分を捨て、いい部分をすべて取り入れたパチンコ経営をやってみたい。そう思うようになり、独立を決意したのが40歳になる直前でした」
家庭の事情で大学を中退し、20歳でこの業界に飛び込んだ松谷。ホールスタッフからはじまり、マネージャー、支配人(釘師)、そして北海道で独立開業、8店舗を展開する今日に至るまで紆余曲折を経ながら50年の業界歴を重ねた。「20代はいろんなことをやり、30代はひとつの仕事に決め、40代は独立するという周りの風潮がありました。ホールの支配人だった30代の後半は、人並み以上の暮らしぶりはできていましたが、店を立ち上げるような貯金はありません。自分にあるのは体力と行動力、そして人との信頼関係だけ。それまではどこへ行っても、どんな仕事でも誠心誠意やってきた。それを見てくれていた人たちが“心の応援団”になってくれました」と当時を振り返る。
そうした周囲の支えもあり、1977(昭和52)年、北海道岩内町に第1号店をオープン。同店は廃業店舗を居抜きで借り受け、その債務は営業をしながら月々返済していった。「いまは通用するのかどうか分かりませんが、水商売は3日ぶんの売上が家賃だ、と考えていました。306台の店でしたのでそれほど難しいことではないと踏んでスタートしました。結果はそこそこにうまくいきましたね。当時、台売で2000円~3000円くらいでしたから1日の売上は良くて100万円程度。それを思えば、台売1万円になることもあるいまの1円パチンコは、当時との物価の違いはあるにせよ十分採算の取れるものだと思います」

ビクトリア観光は現在、8店舗中7店舗で部分的に1円貸玉を実施している。稼働のいい店では、台売1万円、粗利は3500~4000円になるという。そんななかで、松谷が最近注視しているのは、道内で増加中の2円貸玉の動向だ。「4円の倍遊べるということで、お客さまの中には業界関係者―例えばライバルメーカーの機種を試し打ちしているメーカー関係者もいるようです。私が見た感じでは集客は確かに良かったのですが、利益はいかがなものか、と。具体的には『玉粗利8銭で4万発稼働ならイケるが、10銭取るとお客さまが飛んでしまう』とあるコンサルタントが言っていました。もちろん店舗の勢いや新台の導入量にもよりますから一概には言えないでしょうが、お客さまのニーズに合わせ新台を入れていくとなると……」と慎重な姿勢を見せる。その一方、「パチンコ台600~700台の大型店では平日に3~4割稼働に落ちるケースがあります。そんな時、遊休台を生かすという意味でも低貸玉は有効です。そして、何よりもお客さまが増え、業界全体が盛り上がることが一番大切という意味でも低貸玉を増やしていくことになるでしょうね」と話す。
また、同社の店舗展開についてはこう話す。「パチンコ店は経費を度外視して計算すると、2年半から3年の粗利益が初期投資額と同じであれば採算が合う。また、借金は売上の20%以内に抑える、と決めていました。ただし、5号機時代に入ってからその考え方を改めました。いまは年間の粗利益と借金がトントンくらいで健全経営といえるのではないでしょうか」
仮に1000億円を売り上げる企業があるとして、一般的に粗利益率は13~15%。「つまり150億円の借金には何とか耐えられるだろう」としながらも、「現状、財務に占める機械代のウエートが非常に重くなっており、かつ税金面なども考えると出店には消極的にならざるを得ませんね」と話す。


